アテネ(現代ギリシア語: Αθήνα; Athína; [aˈθina] ; カサレヴサ: Ἀθῆναι, Athinai; 古代ギリシア語: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。
アテネはアッティカ地方にあり、世界でももっとも古い都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオン[2][3] があり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことは知られている。今日の現代的なアテネは世界都市としてギリシャの経済、金融、産業、政治、文化生活の中心である。2008年にアテネは世界で32番目に富める都市に位置し、UBSの調査では25番目に物価が高い都市に位置している。
アテネ市の人口は655,780人(2004年は796,442人)、市域面積は39 km2 (15 sq mi) である。アテネの都市的地域(大アテネや大ピラエウス)は市域を超えて広がっており、人口は2011年現在3,074,160人に達し、都市的地域の面積は412 km2 (159 sq mi)である。ユーロスタットによれば大都市圏地域(Larger Urban Zones,LUZ) (en) の人口は欧州連合域内では7番目に大きい。
古典ギリシア(英語版)の文化的遺産は今でもはっきりとしており、多くの古代遺跡や芸術作品が象徴している。もっとも有名で代表的なものにはパルテノン神殿があり初期の西洋文明の鍵となるランドマークと見なされる場合もある。アテネにはローマ帝国支配下のギリシャや東ローマ帝国の遺跡もあり同様に少数のオスマン帝国の遺跡も残されているなど、何世紀にもわたる長い歴史を投影するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界遺産がありアテナイのアクロポリスと中世のダフニ修道院がそうである。現代のランドマークはギリシアが1833年に独立国となりアテネが首都に制定された時のもので、ギリシャ議会の議事堂や3部作(Trilogy )で構成されたギリシア国立図書館(英語版)、アテネ大学、アテネアカデミー(英語版)が含まれる。アテネは、最初の近代オリンピックであるアテネオリンピックと、その108年後に開催されたアテネオリンピック (2004年)の2度のオリンピックの舞台である。アテネにはアテネ国立考古学博物館があり、世界最大の古代ギリシアの遺品の収蔵を特徴とし新しい2008年に完成したアクロポリス博物館もある。ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が所在し、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロセイ。1985年には欧州文化首都に選ばれた。
おすすめ観光
アクロポリス
アクロポリス(ギリシア語: ἀκρόπολις)とは、古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘のこと。アクロポリスは「高いところ、城市」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれているのが普通である。
歴史王以下の諸王の居城であったと伝えられている。ポリス成立後は、神殿や有事の際の避難場としての機能を有する宗教的、軍事的中核として位置づけられるようになった。ポリス成立以前の王城は、都市国家のシンボルとしてのアクロポリスへとその姿を変えたのである。
また、ホメロスによる叙事詩『オデュッセイア』には、「魂のアクロポリス」「肉体のアクロポリス」といった比喩的表現をみることもできる。
なかでも有名なのがアテナイのアクロポリスである。ペルシア戦争時に木造建築のために全てが灰に帰したと伝えられているが、その後の石造建築による再建の結果、ペリクレスの時代に最も輝かしい時代を迎え、今日の私たちの知るアクロポリスが誕生した。現在この丘には、古代ギリシア美術を代表する4つの傑作、パルテノン神殿、プロピュライア(神域の入り口の門)、エレクテイオン、アテナ・ニケ神殿がある。二千年の歴史を刻んだパルテノン神殿は、白色とも桃色ともつかない光の加減で変化する大理石の柱46本が青空を背景に荘厳な雰囲気を漂わせている。